日本の国土は火山列島からなっているとも言えるので、いたるところに高山や峻嶺がある。山は数え切れないほどあるが、それでも人びとは山の姿を愛で、地元や郷土の山々に愛着を抱き誇りをもっている。
いやになるほど多くの山がある国ですらそれだけ山にこだわるとしたら、おおむね平坦な地形で山が数えるほどしかない国だったらどうだろう?
山や高地はさぞ貴重なものに違いない。とりわけブリテン王国の南部ウェイルズ地方では。
高山がないところでも大地には起伏があって、河川が大地を削って造り出した谷や丘はある。では、地理学や地学から見て丘と山との違いは何か。というような疑問も沸いていくる。
この『ウェールズの山』――1995年作品――という作品は、自分たちの郷土に「立派な山」があってほしいと願う人びとと地形の測量に訪れた陸軍測量部の面々との交流の物語を描いている。
この町の人びとは山と丘との違いにこだわって、というよりも、どうしても山があってほしいと願って、丘を山につくり変えようとして奮闘することになる。
原題は The Englishman Who Went Up A Hill But Came Down A Mountain
。大変長ったらしい題名だが、邦訳すると「丘に登って山から下りてきたイングランド人の物語」あるいは「あるイングランド人が登ったのは丘だったが、降りてきたときは山になっていた」とでもなろうか。
原題から読み取れるのは、何か事件があってその結果、地理学の上では丘が山になったということ、その経緯には「よそ者」としてイングランド人が絡んでいるということだ。
脚本・監督を担当したクリストファー・マンガーは、この物語の原案となった、ウェイルズ南部の田舎町での事件を祖父から聞いたのだという。
第1次世界戦争当時、ブリテン地理学会――山岳地形の測量については陸軍測量部が指導的だった――の基準では、陸上の地面の盛り上がりが1000フィート(約304.8メートル)を超えると「山」で、それ未満は「丘」だと定義されていた。
1917年、ウェイルズ南部のある町――ウェイルズとイングランドとの境界近くにあるらしい――にブリテン陸軍の測量係である2人のイングランド人が山地丘陵の地形の測量にやってきた。彼らの測量結果によって丘と山の区分がおこなわれる見込みのようだ。
この辺りにはこれといって目ぼしい歴史文物や自然景観のないせいか、この町の人びとはフュノンガルウという「山」を誇りにしてきた。というのも、この山こそは、その昔、イングランド人たちがウェイルズに攻め行ってきたときに、その進軍を阻む要害の役割を果たしたという伝説があるからだ。
ウェイルズは今でこそブリテン王国の一地方にすぎないが、元来は古代ローマ人がカンブリアと呼んだ独自の部族侯国(小王国)をなしていた。ウェイルズ人たちはそういう歴史を持つ郷土のアイデンティティを今でも大事にしている。
ところが、イングランド人たちの測量の結果、山だと思ってきた「まほろば」フュノンガルウは、地理学会の山としての基準を下回る高さしかないことがわかった。
この結果は、山に誇りを持ってきた民衆をいたく落胆させた。とりわけ、町の教会の牧師は深く嘆き悲しんだ。そして、牧師の「宗旨・教義上の敵」である酒場の店主の発案で、丘に土を運んで積み上げて「山」に格上げしようという運動が発生した。信仰や政治上の立場の違いを超えて人びとは奮闘することになった。
映画の物語は、この運動の経緯や顛末、そして地元の人びとと運動に巻き込まれたイングランド人測量技師たちの絡み合いを描く。この作品はカンヌ映画祭で大きな注目を浴びることになった。
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