これまた、ジャック・ヒギンズ原作のアイアランド紛争を背景とするハードボイルド物語。1987公開の映画作品。誤爆によって挫折し、大義と目的を失いIRAから離脱したテロリストの末路を描く物語。
この物語でも、一方がテロリストである2人の男が偶然の出会いによって親密になる状況設定になっている。一方は元IRAのテロリストで、もう一方は以前IRAを鎮圧するSAS(特殊空挺部隊)隊員だった聖職者。
映画の原題は A Prayer for the Dying (死にゆく者への祈り)。原作は Jack Higgins, A Prayer for
the Dying, 1973 。アイアランド紛争を背景にして描かれた政治スリラー小説。
原作者のジャック・ヒギンズはイングランド人でありながら、アイアランドの民衆の抵抗に対して、距離を置きながら深い共感・同情を寄せている。それは、彼の幼年〜少年時代の実体験にもとづいているようだ。
彼は幼時期に、離婚した母親に連れられて北アイアランドのベルファストに移住した。そこで、アイアランド南部が共和国――ただし、しばらくは実質的にブリテンの属国状態だった――として独立を達成したのち、1920年代末以降に激化するブリテン領北アイアランドでの――政治的にして宗教的な――暴力を目の当たりにする。
彼は感性も知性も頭抜けて鋭い子どもだったようだ。
それは、のちの軍隊での実績、そして、オクスフォードやケンブリッジと比肩されるエリート大学、ロンドン・スクール・オヴ・エコノミー&ポリティカルサイエンスに進学して社会学を研究したことからも明らかだ。
ロンドン・スクール・オヴ・エコノミー&ポリティカルサイエンス――略称LSE――は、現在は、ロンドン総合大学群に統合されている学寮だが、もともとは大学院クラスの教育研究機関で、ブリテン国内はもとより世界中から俊秀を集めてきた。
ここで学んだジャック・ヒギンズは、エンターテインメントとしての政治・軍事スリラー小説をものする作家だが、作品のなかでアイアランドやブリテン社会の構造と歴史を、透徹した社会学者としての視点をもって描き出している。
彼は子どもながらにして、アイアランド社会の構造として、カトリック系アイアランド人民衆がブリテン王国・プロテスタント派の権力に抑圧されている状況を見抜いたに違いない。とはいえ、彼はやがてブリテン軍近衛連隊に勤務し、そこに自分らしい居場所を見出したというくらいだから、自分が依拠する政治的立場、支持すべきレジームがいずれにあるかについては、確固とした立場を持っていた。
彼が支持した英国社会のレジームの価値観は、市民的自由、創造と批判の自由、レジームに対して批判や疑問、異議を提起する自由を擁護するもののはずだ。それは普遍的な価値=権利として、抑圧されているアイアランド民衆によってもまた享受されるべきものと彼は考えている。
だが、政治的自由にいたる手段として、粗暴な暴力や怨嗟による報復的破壊では多数の民衆が傷つく場合が多いことも、紛争の解決に結びつかないことも、アイアランドで過ごした少年期の経験から学んだようだ。
ジャック・ヒギンズは知的エリートとして、アイアランド問題の根源は、何百年にもおよぶブリテン=イングランドによる植民地支配と抑圧、収奪にあること、とりわけ19世紀末から20世紀後半までのブリテン当局の統治構造にあることも知悉している。
つまりは、カトリック系アイアランド民衆の立場からの批判を受け入れているのだ。
そういう歴史観に立って、アイアランド紛争をめぐる状況を第一級の政治的スリラー小説、エンターテインメントに仕立て上げて描いているのだ。
自国民のいわば「醜悪な過去」「負の側面の歴史」を率直に認めることから出発しているのだ。であるがゆえに、イングランドに敵対するIRA側の言い分を――その立場の限界も含めて――そっくり受け入れている。
近衛騎兵隊(イングランド王室王宮警備軍)のエリートであった人間が、である。
ジャック・ヒギンズの作品の多くは世界的なベストセラーズとなった。英語作品なので、作品群の販売部数はのべ数億冊にものぼり、読者数はその数倍におよぶという。ものすごい影響力だ。
その影響力を前提としたうえで、自国民の「醜悪な過去」「負の歴史」をことさら構えることも衒うこともなく、淡々と客観的に語る。
イングランド人の国民的個性もあるのだろう。「自虐史観」とか「反愛国的」とかいう低次元のいちゃもんが、メディアで幅を利かすこともないようだ。
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