第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第1節 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱
この節の節の目次
ヨーロッパ世界貿易ネットワークの形成にともなって、低地地方のフランデルンが独特の経済的・地政学的地位をもつようになった。ブルッヘ(ブリュージュ)、ヘント(ガン)、イーペル(イープル)、アラス、ドゥエ、リールなどの諸都市が、遠距離交易に向けて織物を生産する製造業の中心地を形成した。経済的地位の上昇は、その地域の政治的・軍事的環境にもよるものだった。
ネーデルラント諸邦――フランデルン、ブラバント、ホラント、フリースラントなど――は、「ドイツ王国=神聖ローマ帝国」に属していて、ラインラントはもとよりニーダーザクセンや海峡の対岸にあるイングランド、そしてフランス大西洋岸諸地方と古くから結びついていた。
フランデルン伯領の統治体制は当時の基準から見て独特のもので、生成し始めた世界市場での商品流通とマニュファクチャーに適合したものだった。だが、諸都市のなかでは、富と権力の分配における階級間の敵対関係もまた渦巻いていた。そこにはまた、遠距離貿易(世界貿易)を組織する域外商人の権力もおよんでいた。しかも、豊かなフランデルンはイングランド王権の影響力とフランス王権の影響力とがつねに拮抗する地域であった。カペー家のフィリップ・オーギュスト(在位1180~1223)は、13世紀の前葉にフランデルンに勢力を広げたが、フランス王国への統合に成功したのは、フランデルン伯領の南部だけだった。そのほかのフランデルン地域は、外部の経済的・政治的権力に対して無防備に開かれていた。
というよりも、領域国家装置はごく萌芽しか形づくられておらず、国境システムもなく、要するに国家的統合もまだ遠い将来のことである状況のなかでは、諸都市や諸地方、諸階級の離合集散がその時々の情勢に応じてめまぐるしく変化したのだ。そして、世界貿易での力関係や金融の構造などの外部環境の変化によって、フランデルンのなかでも興隆の中心は揺れ動き、移動した。はじめはブルッヘ、次いでアントウェルペンがひのき舞台に登場した。
まず、ブルッヘを中心にフランデルン商業都市をめぐる状況を眺めてみよう。
11世紀頃、各地を遍歴していた初期の商人が、その遍歴商人仲間とともに新たな商工業の育成をもくろんで、フランデルン伯保護下の都市集落の商人定住地に居をかまえるようになった。彼らはイングランドの羊毛のすぐれた性質を発見するや、農村の織物業をこの新しい都市集落に移して、農村副業から都市集落の住民による専門的な製造業につくり変えていった。織布工たちをイングランド産羊毛の織布に習熟させ、前貸問屋制度をつうじて彼らの営みを自分たちに従属させ、その製品によって全ヨーロッパを販売市場として獲得していったのだ。彼らこそが、フランデルン諸都市の本来の創造者だったとフリッツ・レーリッヒは言う〔cf. Rörig〕。
カムブレやリエージュのような司教都市では、都市領主としての上級聖職者層と都市住民とのあいだでずっと激しい闘争が続いていた。それに対して、それ以外の多くの新しいフランデルン諸都市の場合は、宗教都市あるいは領主の城砦集落として出発したのではなく、はじめから商人都市として生まれた。フランデルン伯はいくつかの商人団体に特権=特許状を与えて、毎年の税ないし賦課金の上納と引き換えに、都市建設および都市統治の権限を認めた。それゆえ、フランデルン伯は新たなタイプの都市領主として都市に関係することになった。
12世紀初頭には、すでに著しい発達をとげていたフランデルンの諸都市と伯とのあいだには、すでに広範囲な利益の一致が生じていた。それゆえ、フランス王権――ただし、このときカペー家は支配圏域がパリとイール・ドゥ・フランスだけに限られた弱小君侯にすぎなかった――による吸収の企てに対して、都市商人は伯と連合して抵抗して、編合を免れた。カペー家の企てに対しては、イングランドのノルマン王権ないしプランタジネット王権(ノルマンディ公=アンジュー伯家門)が牽制を加え、フランドル伯を支援する形になった。
フランデルン諸都市の繁栄は、イングランド産羊毛の順調な供給に依存していて、フランス王権による併合計画に対するフランデルン伯領の安全は、イングランド王家の後ろ楯にかかっていた。当時、ノルマンディ=アンジュ―家門はフランス西部でも最有力の君侯家門の1つだった。ラインの下流から河口地域とイングランド南部は、緊密な貿易関係をつうじて形成されたひとまとまりの経済圏をなしていた。加えて、13世紀後半にいたるまで、フランデルンの諸都市と伯は共通の利害をもっていた。
両者は、しばしばフランス王家側についた下級貴族・騎士の派閥に対して、同盟して対抗していた。伯と諸都市のこのような強い相互依存関係のために、フランデルンでは、都市上層市民の自治欲求と伯領の統治権力とが都市の内部でも比較的容易に調整・共存することができた。都市統治のために伯が設けた諸制度は、都市の有力市民が運営していたのだ。
騎士層はといえば、都市の支配層と結びついた分派、伯の行政装置に奉職する分派、在地地主・地方的名望家としての自立性に固執する分派のほぼ3つに分裂していた。市域を超え出て農村にまでおよぼうとする都市団体と商人の権力からの自立性の保持に執着する下級領主・騎士の分派は、フランス王家との同盟に走るものが多かった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成